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朝起きて庭を眺める、日々表情の変わる様子を見ながらの発見、そんな生活を楽んでいます。

中野広域シルバー人材センターで庭木剪定の仕事をしています
日本園芸協会認定庭園管理士

北信濃戦国武将ゆかりの史跡を訪ねる entrance

上杉家廟所 山形県米沢市 2016/8/6

初代謙信から12代斎定まで、歴代上杉藩主はここに埋葬されています。東西100メートル南北180メートルの敷地内に樹齢400年の老杉が整然と並んでいます
近世大名の代表的な墓所として国史跡となっています。中央が謙信公の墓所
中央から左側に向かって撮った写真です。
右側から左へ2代〜12代まで偶数代の墓所が並んでいます。
中央から右側に向かって撮った写真です。
左側から右へ3代〜11代まで奇数代の墓所が並んでいます。

法音寺 山形県米沢市 2016/8/6

法音寺山門
もともとは越後の国南魚沼群の八海山のふもとにあり上杉家移封とともに会津から米沢に移転した寺院です。もとは上杉城内にあり上杉家の位牌、上杉検寸が奉じた毘沙門天、信州善光寺より奉寺した善光寺阿弥陀如来三尊(秘仏)を納めている。
当山の本尊は大日如来である。両手を胸の前にあげ、左手の人差し指を右の拳で握っている印相”智拳印″を結ぶ金剛界の大日如来で、悩み・助けを求める人があれば、いろいろな諸仏・諸菩薩に身を変じ、直ちに救いの手を差しのべて下さる仏さまである。(製作年代 江戸時代前期)
信州善光寺より奉寺した善光寺阿弥陀如来三尊(秘仏)
上杉家の位牌
謙信公(右)・景勝公(左)の位牌上段中央にあり一段と古く、形も違っていて、まだまだ動乱の真唯中で決まった造りにはなっていなく、藩体制がようやく落ち着いてくる定勝公から一定の造りのものに整えられていったことがわかる。
上杉謙信が奉じた毘沙門天
上杉謙信公の居城である越後春日山本丸北側にあった毘沙門堂のご本尊で、謙信公が最も崇拝された御守本尊であった。
善光寺如来付属宝物を特別に見せていただきました。
金銅五鈷鈴(二箇)
金銅五鈷杵(後方)
裏に善光寺名と彫り師が刻まれていました。
金銅舎利塔 左上
如来尊宝印、右下
金銅宝珠塔、左下

上杉神社 山形県米沢市 2016/8/6

上杉神社参道 正面に鳥居が見える
上杉神社全景
上杉神社拝殿
上杉神社御由緒
御祭神 上杉謙信公
上杉謙信公像
上杉景勝、直江謙継公像

九代目米沢藩主 上杉鷹山公

鷹山公の名言 「成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」 

上杉鷹山公

東源寺 山形県米沢市 2016/08/07

萬用山東源寺は、上杉氏の家臣となった尾崎氏とともに信州(長野県飯山市)から米沢に移ってきた寺院です。位牌堂には信濃に縁のある檀家名がずらりと並んでいました。
東源寺には高さ90pの兼続の位牌が今でも安置されている。

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長野県中野市より情報発信
・信州なかのふるさと情報コミュニティー会員
・中野広域シルバー人材セン ター植木剪定班所属
・高井地方史研究会会員